「教えて茶道」Vol,214

今の時期の萩祭りの茶会に出席して、道具の一つの蓋置は、夜学でした。
bQ11にて説明いたしましたところでしたから、時がたてば何もかも
記憶が定かでなくなり、おぼろになる私の脳もまだこれは記憶しており
ました。友人に説明をして、勉強してよかったと、ちょっと優越感を感
じました。
皆様も「教えて茶道」を読んでこんな経験をされることを望んでおります。

入門して薄茶点前、濃茶点前をひととおり手順よくおこなえるようにな
ると、小習、習い事に進みます。
稽古の中では中級といってよいでしょう。
貴人点は、高貴な方をもてなすためのものです。点前そのものは、薄茶
濃茶が基本となり、炉と風炉、棚の扱いなど薄茶と濃茶で習得した基本
が生きてきます。
用いる道具類は、掛物、花入などの他、茶碗、貴人台、薄茶器、茶杓な
ど、新しい物を用いるのがよろしいです。
薄茶、濃茶いずれも一人一碗で、貴人台に天目茶碗を用います。
菓子も足の高い高盃(かたつき)で出す習いとなっています。
この点前では、柄杓を引いた頃に、給仕役(半東)が出ます。
半東は茶碗や拝見道具の取りつぎをし、その時以外は踏込畳に斜めに座
り、両手をついてひかえています。
私達庶民は高貴な方になることはありませんが、半東になる時はあるや
もしれませんので、どなたかの貴人点のお稽古の時には見ているだけで
なく、半東の役をしてイザと言う時になれておきましょう。


<窯 かま>用語

御菩薩  みぞろ  
     御菩薩焼(みぞろやき)京焼の一種。京都御菩薩池(深泥池)
     付近で野々村仁清が焼いたものと伝えるが、仁清の窯とは別に
     1673-81年頃より以後の古清水に似ており、薄手のものは粟田
     焼・岩倉焼似にて、薄玉子色の素地に細かい貫入のある色絵陶
     が多い。一説に、仁清の門人源助の創始で、渋絵・藍絵で若松
     柴垣・熊笹などを描いたものが多く、仁清作と同一雅作である
     という。「みぞろ焼」・「御菩薩焼」などの印のある物と、献
     上品らしい無印のものとがある。時代の降るものには粟田の宝
     山の作が多い。
     
八代  やつしろ  
     八代焼(やつしろやき)高田焼とも言われる。      
     肥後の国(熊本県)八代の陶器。「やっちろ焼」と称される。
     1632年細川忠利が豊前より肥後に転封されたのに伴い、豊前
     上野焼に従事していた上野喜蔵は長男忠兵衛・次男藤四郎を
     連れて肥後に移り、八代郡(八代市)開釜、藩の御用窯とし
     て茶壷・茶碗などを焼出した。1658年豊原村字平山に移窯し
     平山焼とも呼ばれ、1669年忠兵衛が家を継ぎ、藤四郎は分家
     した。概して薄づくりで、素地土は赤褐色、釉は青白色また
     は黒色で、古帖佐・高取・朝鮮唐津風のものが多く、肥後薩
     摩と称された。四代藤四郎の1711-6年に及び土・釉・窯の構
     造を改めるとともに、黒白嵌土の法を案出、高田焼の陶法を
     一変させた。その後明治廃藩などを経て現在に及ぶ。
     
<磁器 じき>用語

天川  あまかわ
     中国広東省マカオを古くから天川・阿媽港と称し、同港から
     舶載された工芸品をも称した。漆皮の香合・盆、中国磁器な
     どがある。

和蘭  おらんだ
     和蘭・紅毛・オランダ焼とも称される。江戸時代オランダ船
     によってもたらさせた陶磁器の総称。オランダをはじめとす
     る西洋陶磁器のほかに、中国製も混入する。オランダのデル
     フト、イギリスのウエッジウッド、イタリアのマジョリカや
     フランス・スペイン・ポルトガルさらに中近東諸国の物まで
     含まれる。「煙草の葉水指」は古来茶人間で尊重され、藍・
     黄・緑・赤で煙草の葉が唐草文様の間に大きく描かれれいる。
     貿易品の容器であったものであろう。又白地や青磁器の無地
     の物が、水差や火入・建水に用いられている。白雁の香合・
     色絵茶碗などは紅毛趣味の流行につれて輸入されたのであろ
     う。