「教えて茶道」Vol,211

久しぶりに大寄せの茶会に行って参りました。全国レベルではないので
静かな雰囲気を味わいました。
待合席では、紫蘇ジュースが出され、まだまだ暑い、喉が乾くこの時に
赤い色をした冷たい飲み物はありがたいです。
始めて、日月棚やぶどう棚水指を拝見して、やはり茶会出席は勉強にな
ると、おいしいお菓子とお茶を味わいながら楽しんでまいりました。
簡単にお席のお道具を紹介いたしますと、

軸:  月 臥 月雲悠然 (月ふして 雲ゆうぜんと眠る)
花入: 砧カゴ
花:  ススキ・吾亦紅・秋海堂・白槿・女郎花・古エビ草・エドモン萩
棚:  日月棚
水指: ぶどう棚   静山造
棗:  月に秋草   絹蔵造
茶杓: 春見文勝筒 銘:不老
茶碗: 赤楽 十三軒造
替茶碗:武蔵野 桐山造
主菓子:初雁
干菓子:ウサギ・枝豆
蓋置: 唐 夜学 勝久造
*夜学(やがく)
 蓋置の一種。夜学をする際、机上を照らす灯明の火皿の台を転用した物。
 灯台ともいう。甕形の四方に火窓のような透かしがある。青磁器が多い。
 大きいものは手あぶりに転用される。

お茶の点前を習う時、始めに部分、部分の割り稽古をいたします。
割り稽古ができるようになったら、点前の基本の流れを薄茶点前で稽古
します。薄茶点前は繰り返しけいこすべき大切な基本で、これによって
一つ一つの動作合理的で無駄のない動きであることを学び、さらにそれ
を見苦しくない美しい身のこなし方で行えるようにしていきます。その
種類はさまざまありますが、おおきくは炉と風炉に分けられ、それに伴
って道具組みが変わりその扱いも変わります。薄茶器、棚、柄杓などの
違いに応じた点前を覚えていきます。拝見に出す棗の基礎知識、季節に
よって異なる茶杓の銘なども学びます。


<窯 かま>用語

信楽  しがらぎ
      信楽焼(しがらぎやき)近江国信楽郡(滋賀県甲賀郡信楽
      町)より産出の陶磁器。信楽郷は天平時代、聖武天皇の離
      宮の故地。当時の製瓦も知られるなど、窯業の起りは古い。
      隣接の伊賀の丸柱窯(三重県阿山郡)と並んで最古の陶窯
      と言われる。骨壷や種壷・擂鉢などの雑器を焼いたのが(古
      信楽)、東山時代の茶湯発祥に促され茶陶の製産がはじま
      り、「備前・信楽もの」と並称される名産地となった。そ
      の侘びた風趣は紹鴎や利休に好まれ、紹鴎信楽(鬼桶・蹲
      花入など)・利休信楽(旅枕花入・茶碗「水の子」など)
      の称も起り、伊賀焼と並んで茶湯の発達に大きく寄与した。
      さらに宗旦信楽・遠州信楽などが知られ、本阿弥空中・野
      々村仁清・有来新兵衛らが信楽の土を用いた作品と言われ
      る空中信楽・仁清信楽・新兵衛信楽などが伝えられる。な
      お同時代、茶壷には信楽焼が多く用いられた。瀬戸や唐津
      を写した宗石信楽も特色のある茶陶といえる。

志戸呂  しとろ
      志戸呂焼(しとろやき)      
      遠江国志戸呂(静岡県榛原郡金谷町志戸呂)の古陶。1521
      -8年ごろ葉茶壷を焼造したと言われる。1573-92初年美濃
      国(岐阜県)久尻の陶工加藤庄右衛門景忠がこの地に来て、
      五郎左衛門と改名して従業、当時の浜松城主松平家康に扶
      持されたという。1624-44小堀遠州の好みで茶器を焼き、
      遠州七窯の一つに称されたが、詳細はわからない。1716-36
      より「志戸呂」・「質侶」の印を用いたと言われる。土質
      は赤茶色で、釉色は黒褐色または茶褐色である。瀬戸風な
      作品が多い。
      

瑞芝  ずいし
      瑞芝焼 (ずいしやき)
      和歌山県鈴丸丁で産した陶磁器。鈴丸焼・滅法谷焼・名草
      焼・紀城焼・和歌山焼などの別名がある。1801年岡崎屋坂
      上重次郎の創業で二代重次郎まで続いた。瑞芝焼の名称は
      藩主徳川冶宝から与えられた瑞芝堂の書額による。また重
      次郎も瑞芝と号した。早くから藩の保護を受け、青木木米
      も享和元年以来たびたび来て従事し、1804-30ごろが全盛
      期で、青磁に優れた作品を残した。