「教えて茶道」Vol,203

七月に入り、ますます気温は上昇中の今日この頃。
皆様暑さに負けずに頑張って下さい。
今日は七月七日七夕です。皆様はどのような日をお過ごしでしょうか?

毎年同じになりますが、季節点前、夏は涼しさを感じさせるような点前をい
たします。
洗い茶巾は、平茶碗に水を入れる。
名水点は、名水を求めてきて供する。
葉蓋は、涼しそうに見せる。おもてなしのいろいろですね。
順次説明いたします。

<洗い茶巾>
水を入れた洗い茶巾を簡単に述べます。
水の面を見せて涼しさの演出をしています。
これは、極暑の扱いです。
ごく浅い平茶碗に、水を七分目ほど入れて、茶巾の端と端との対角線を取って、
二つに折り、その端を茶碗の右方に少し出し、その上に茶せんを仕組み、茶杓
を普通にのせて置きます。
茶碗に水が入れてあるので、運び点前でも棗、茶碗と同時に運び出すことはし
ません。
茶碗だけを始めに運び、両手扱いで、仮置きします。
棗は右手の平にのせて、建水と一緒に運びます。
水が入っている間は、茶碗を両手扱いです。
点前中
棗、茶杓を清めてから、柄杓をかまえ、帛紗で釜の蓋を取り、帛紗を建水の下
座に置き、柄杓を釜にあずけます。
両手で茶碗を膝前に置き、茶巾を上に引き上げます。その時は、ゆっくりと水
の音が聞こえて、涼しさを感じさせるようにしましょう。
茶巾を半分に折り、ひとしぼりして建水の上でしっかりとしぼります。
広げて茶巾をたたみ、釜の蓋の上に置きます。湯を入れます。
水を捨ててからは、普通の平点前の要領です。

<茶人伝>織田信長(おだのぶなが)
1934年に尾張に生まれ、天下統一にに向けて着々とその勢力を拡大した
信長は、1968年、足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて念願の上洛を
果たしました。これ以後、茶の湯との本格的な関わりを持ち始め、降伏
した松永久秀(まつながひさひで)からは世に名高い「作物茄子(つく
もなす)」の茶入を献上させ、翌年から「名物狩り」を行って洛中の名
品茶道具を掌中に収めました。
彼は茶道(さどう)として召抱えた今井宗久(いまいそうきゅう)、津
田宗及(つだそうきゅう)、千利休らの点前によって名物茶会を開く一
方、戦功著しかった武将にはこれらの茶道具を与え、栄誉をたたえて茶
の湯の許可を与える「茶道政道」を行いました。
しかし、1582年6月2日、突如、本能寺に明智光秀の夜襲を受け、前夜の
茶会の為に運びこんだ三十数種の名物とともに、その波瀾の人生を燃え
上がる炎の中で終えたのでした。


<茶碗 ちゃわん>用語

蜻蛉手 とんぼで 安南染付 あんなんそめつけ
    *安南焼の染付。14、5世紀に元末明初の中国の染付に倣って
     製作されたとかんがえられているが、中国より早くはじめら
     れたとする説もある。呉須の発色・文様すべて中国製に匹敵
     する精品があるが、大部分は釉は黄ばみ、呉須は黒ずみ、文
     様は簡略されている。茶陶で「絞手」と呼ばれるものは、釉
     に灰分が多い為呉須が釉とともに流れた結果、文様がぼやけ
     てできたものである。絞手の中でも有名な物に「蜻蛉手」と
     呼ばれる蜻蛉の絵の描かれた茶碗がある。他に花生などが古
     くから使われている。

安南焼 あんなんやき
     安南(べトナム)で製作された陶磁器の総称。ベトナムでは
     中国陶磁器の影響のもとに早くから白磁・青磁が焼かれてい
     たが、14、5世紀から染付・赤絵の製作も始まった。一方、日
     本とベトナムとの間には室町時代末期から江戸時代前期にかけ
     てかなりな量の交易があり、多くのベトナム製陶磁器がもたら
     された。茶碗・水指・花入・鉢として茶人に愛玩されている。
     安南織部・安南呉須・安南絵高麗・安南絵堅手・無地安南・紅
     安南などの称がある。「絞手」と呼ばれる安南染付が最も珍重
     されまた数も多い。日本では名古屋の御深井焼(おふけやき)
     が安南写しとして有名である。

海鼠釉  なまこぐすり
      陶磁器釉薬の一種。失透釉で色調は藍紫色が主たるものであ
      るが、青・赤・白・黒などの色調のものもある。この釉法は
      元来中国より伝わったものであるが、朝鮮会寧あたりでも盛
      んに用いられ、文禄・慶長の役のとき来朝した朝鮮陶工たち
      によりわが国にもたらされた。主として上野・小代・高取な
      ど九州方面において使用され、現代になって信楽焼で火鉢な
      どの実用品に最も多く利用されている。着色は鉄塩により、
      失透剤は植物性の灰を用いる。