七月に入り、ますます気温は上昇中の今日この頃。
皆様暑さに負けずに頑張って下さい。
今日は七月七日七夕です。皆様はどのような日をお過ごしでしょうか?
毎年同じになりますが、季節点前、夏は涼しさを感じさせるような点前をい
たします。
洗い茶巾は、平茶碗に水を入れる。
名水点は、名水を求めてきて供する。
葉蓋は、涼しそうに見せる。おもてなしのいろいろですね。
順次説明いたします。
<洗い茶巾>
水を入れた洗い茶巾を簡単に述べます。
水の面を見せて涼しさの演出をしています。
これは、極暑の扱いです。
ごく浅い平茶碗に、水を七分目ほど入れて、茶巾の端と端との対角線を取って、
二つに折り、その端を茶碗の右方に少し出し、その上に茶せんを仕組み、茶杓
を普通にのせて置きます。
茶碗に水が入れてあるので、運び点前でも棗、茶碗と同時に運び出すことはし
ません。
茶碗だけを始めに運び、両手扱いで、仮置きします。
棗は右手の平にのせて、建水と一緒に運びます。
水が入っている間は、茶碗を両手扱いです。
点前中
棗、茶杓を清めてから、柄杓をかまえ、帛紗で釜の蓋を取り、帛紗を建水の下
座に置き、柄杓を釜にあずけます。
両手で茶碗を膝前に置き、茶巾を上に引き上げます。その時は、ゆっくりと水
の音が聞こえて、涼しさを感じさせるようにしましょう。
茶巾を半分に折り、ひとしぼりして建水の上でしっかりとしぼります。
広げて茶巾をたたみ、釜の蓋の上に置きます。湯を入れます。
水を捨ててからは、普通の平点前の要領です。
<茶人伝>織田信長(おだのぶなが)
1934年に尾張に生まれ、天下統一にに向けて着々とその勢力を拡大した
信長は、1968年、足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて念願の上洛を
果たしました。これ以後、茶の湯との本格的な関わりを持ち始め、降伏
した松永久秀(まつながひさひで)からは世に名高い「作物茄子(つく
もなす)」の茶入を献上させ、翌年から「名物狩り」を行って洛中の名
品茶道具を掌中に収めました。
彼は茶道(さどう)として召抱えた今井宗久(いまいそうきゅう)、津
田宗及(つだそうきゅう)、千利休らの点前によって名物茶会を開く一
方、戦功著しかった武将にはこれらの茶道具を与え、栄誉をたたえて茶
の湯の許可を与える「茶道政道」を行いました。
しかし、1582年6月2日、突如、本能寺に明智光秀の夜襲を受け、前夜の
茶会の為に運びこんだ三十数種の名物とともに、その波瀾の人生を燃え
上がる炎の中で終えたのでした。
<茶碗 ちゃわん>用語
蜻蛉手 とんぼで 安南染付 あんなんそめつけ
*安南焼の染付。14、5世紀に元末明初の中国の染付に倣って
製作されたとかんがえられているが、中国より早くはじめら
れたとする説もある。呉須の発色・文様すべて中国製に匹敵
する精品があるが、大部分は釉は黄ばみ、呉須は黒ずみ、文
様は簡略されている。茶陶で「絞手」と呼ばれるものは、釉
に灰分が多い為呉須が釉とともに流れた結果、文様がぼやけ
てできたものである。絞手の中でも有名な物に「蜻蛉手」と
呼ばれる蜻蛉の絵の描かれた茶碗がある。他に花生などが古
くから使われている。
*
安南焼 あんなんやき
安南(べトナム)で製作された陶磁器の総称。ベトナムでは
中国陶磁器の影響のもとに早くから白磁・青磁が焼かれてい
たが、14、5世紀から染付・赤絵の製作も始まった。一方、日
本とベトナムとの間には室町時代末期から江戸時代前期にかけ
てかなりな量の交易があり、多くのベトナム製陶磁器がもたら
された。茶碗・水指・花入・鉢として茶人に愛玩されている。
安南織部・安南呉須・安南絵高麗・安南絵堅手・無地安南・紅
安南などの称がある。「絞手」と呼ばれる安南染付が最も珍重
されまた数も多い。日本では名古屋の御深井焼(おふけやき)
が安南写しとして有名である。
海鼠釉 なまこぐすり
陶磁器釉薬の一種。失透釉で色調は藍紫色が主たるものであ
るが、青・赤・白・黒などの色調のものもある。この釉法は
元来中国より伝わったものであるが、朝鮮会寧あたりでも盛
んに用いられ、文禄・慶長の役のとき来朝した朝鮮陶工たち
によりわが国にもたらされた。主として上野・小代・高取な
ど九州方面において使用され、現代になって信楽焼で火鉢な
どの実用品に最も多く利用されている。着色は鉄塩により、
失透剤は植物性の灰を用いる。
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