「教えて茶道」Vol,188

火曜日朝、関西系のテレビでランディ先生がテレビ出演いたしました。
日常生活の中でお茶とのかかわり方、礼儀作法など、その中の生徒の
一人としてインタビューを受けた私もちょっぴり写っていました。
若き頃の武道を習っている先生の写真もでましたが、かっこいい!と
ミーハーになって見ておりました。
さて、
お稽古場は恥かき所と言われています。失敗していけないと思い詰め、
先生や他人の目をばかりを気にしていては、何のための稽古か分かり
ません。失敗してしまったら、二度と同じ失敗を繰り返さないように
努力することが肝心で、恥をかいたなどと思わないようにしましょう。
先生からの注意も神経質に気に病むのではなく、わからないことを教
えてもらったと前向きに受けとめ、次から気をつけるようにすればよ
いのです。どうしても分からないことは遠慮しないで先生や先輩に聞
く勇気も必要です。分かったふりをしていると、さらに大きな失敗に
つながるものです。誰でも最初はそのようにして一歩ずつ上達してい
ったはずですから、恥をかくことを恐れずに明るい気持ちで稽古しま
しょう。点前座に座ると何故かふとした何でもない順序を忘れ、お客
になって人の点前見ていると順序は間違えないで不思議とわかるので
すね。それと、私自身もせっかちな性格でいつも走って生活している
ようで、点前もそれがもろに出るようで急ぎ過ぎだと注意を受けます。
自分ではゆったりとした気持ちでしているのですが、全体で急いでい
るので、そうではないようですね。自分ではしているつもりができて
いない、反省、反省ばかりです。


<古筆 こひつ>
春日懐紙 かすがかいし
      鎌倉時代の和歌懐紙。熊野懐紙に次ぐ名品として珍重さ
      れる。春日若宮神主中臣(千鳥)氏をリーダーとする南
      都歌壇の遺産であり、筆者には春日社家や興福・東大両
      寺の学侶(貴族出身者を除く)に若干の遁世者らが加わ
      っている。特に裏面に「万葉集」あるいはこれが擦消さ
      れて万葉歌の痕跡の見えるものが喜ばれる。これは中臣
      祐定が懐紙の裏面を利用して「万葉集」を1243−4の両年
      にわたって書写、「万葉集」の写本として伝来したのが
      、江戸時代中期、古筆尊重の時流によって薄冊が解かれ
      、和歌懐紙として鑑賞されることになり、なお春日懐紙
      の特性として鑑定の決め手とされたためである。この為
      古筆家の一部では、裏面に経文の見えるもの、あるいは
      裏白の奈良の懐紙は奈良懐紙と称えるに至った。実は千
      鳥氏の子弟で桑門に入る者もあったから、経文と言う極
      め手にならないし、文字の痕跡では判別はつかない。白
      紙に至っては是非もない。なお、祐定の孫の祐春など歌
      道と能書で名高い。当代のものも春日懐紙といえる。こ
      のため、歌題や人名ないし時代が一応の基準となる。特
      に「万葉集」の痕跡のうかがえるものは、寛元2年以前の
      ものだとわかる。たまたま仁冶2年(1241)柿本廟法楽和
      歌の年紀も見出されたから、年代のおよその上限がわかる。

糟色紙 かすじきし
      古筆切。伝藤原公任筆。西本願寺三十六人集の断簡。料
      紙は継紙で、独特の美しさがある。石山切・兼輔集切と
      同筆であり、藤原定信(1089−1156)の筆蹟である。