皆様お元気でしょうか?
私は急に東京行きを思い立ち、先週行って来ました。おのぼりさんよろし
く、新名所六本木ヒルズを6年ぶりに逢った友人と見学して、東京を一望
して参り、楽しいひとときを過ごしました。
帰宅して次ぎの日、高槻市・山崎にある豊興山妙喜庵内にある茶室「待庵」
を見学しました。パンフレットの説明によりますと、
当庵三世功叔禅師の時、有名な天王山合戦がおこり、羽柴秀吉は明智光秀
を討とうとして姫路より軍をすすめ1582年山崎にいたり、陣をしき陣
中に千利休を招いて二畳隅炉の茶室を造らせた。利休は功叔禅師と共に秀
吉に茶を点じ禅を談じて陣中の苦労を慰めたと言う。その後解体され16
10年頃に妙喜庵に移されたと言われている。
茶室待庵(国宝)は千利休独特の構想で建てられ、現存する茶室建造物と
しては日本最古のものであって千利休の遺構としては唯一のものである。
この茶室の掛け込み天井と棹縁天井の組み合わせ、床の間の隅や天井を塗
り回した室床の構造から二畳敷のわりに広く感じられ、連子窓、下地窓の
配置、すさを出した壁ぬり方、やや広いにじり口、隅炉などと共に利休の
非凡の構想力がうかがわれる。後世の数奇屋はこれを模したものが多い。
もう一つお茶で有名と言いますか、いわれを覚えておかねばならないのは、
老松(おいまつ)・袖摺松(そですりまつ)
庭前に一株の老松があり、秀吉の衣の袖が触れたと言うことから袖摺松と
名付けられた。表千家六代覚々斎、七代如心斎、裏千家又玄斎がこの枝よ
り作った老松の茶入は以後当庵の名物になっている。
平形の身で蝶番付(ちょうつがいつき)の割蓋が添っており、以後はこの
形を老松と称した。
二畳茶室なので、狭いとは言えかわいらしいと言う印象でした。屋根はこ
けらぶきと言い、さわらと言う木の細片を重ねふいてありました。樋は竹
で、真竹で作るそうです。
数日間で、最近と昔の建造物見る機会に恵まれました。昔の物もそれぞれ
に工夫がされ、木や竹の材質を熟知した上で利用してあることに驚きを覚
え、ゆめゆめ馬鹿には出来ぬと思いました。最先端のビルは地震国である
上に建てられているので、そこまで計算してあるのだろうとその進歩した
開発技術にもやはり感心させられました。
<風炉点前>長板もろ飾り
もろ飾りは長板に風炉釜・柄杓立・水指が置かれているのを云います。
柄杓立の前には蓋置を入れた建水も置きます。
茶道口建付け棗、茶碗を置いて、主客総礼をして、棗茶碗を持ち出し、居
前に座り、棗、茶碗を水指前に置きます。建水を両手で取り、左手で左膝
脇に置き、火箸を杓立から抜き、長板の左畳の上に置きます。建水の中の
蓋置を右手で取り、扱って杓立の前に置きます。後は同様です。
本仕舞いです。
その後、柄杓を取り、釜に水を一杓さし、湯がえしをして柄杓をかまえ、
右手で釜の蓋を取って、閉め、杓立に柄杓を戻し、水指の蓋を閉めます。
この時正客から道具拝見を請われると受けて、蓋置を右手で取り、左掌
で扱い、右手で杓立よりに置きなおします。左手で火箸を取り、扱って
杓立に右手で戻します。
茶碗を三手で勝手付きに割り付けてから、道具を清めて出します。
勝手付きに回って建水を持って下がります。茶碗引いて、水次を持ち出
して、水指前に座って置き、水指の蓋を右、左と二手で開け水を注ぎます。
道具拝見が終ると、建水を持ち出して、長板正面に座り、建水を膝前に
置き、右手で蓋置を取って建水に入れ、両手で杓立前に飾ります。その
後、道具正面に回って、正客の問いに答えます。
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