「教えて茶道」Vol,90

 

先日友人宅を訪問した際、珍しいものをいただきました。
薬である、カプセルに入った抹茶、カプセル入り抹茶です。
一人前、3、4ケをカプセルのまま、茶碗に入れ、熱い湯を注ぎ、普
通に茶筅で点てます。カプセルは溶けてわかりません。
味はまあ、まあでした。一人前が百円くらいだそうです。
どうゆう主旨で作られたのか、たぶん、持ち運びよいようにでしょうね、
こぼれないし、分量もわかりやすいですし…
缶入りで買っている者にすれば、不可解なものでした。
でも、何が流行るかわからない世の中ですからね。驚きでした。

以前にも少し説明いたしましたが、わかりやすい説明がありましたので
改めて紹介いたします。

<掛物>
茶の湯初期時代、掛物は中国の宋・元時代の絵画を用いた。その後、利
休が大徳寺派の禅僧に参禅し、禅の心を茶の湯に取りいれたことから茶
禅一味(ちゃぜんいちみ)の傾向が進み、禅の高僧の墨蹟が尊ばれるよ
うになった。江戸時代初期に入ると、古筆切(こひつぎれ 和歌集を主
として、写経、消息を含む和様の古書蹟の断簡)や色紙、懐紙も重きを
なすようになる。宗旦時代から茶人の墨書きの画賛も作られるようにな
り、比較的軽い気分の掛物として用いられる。掛物の種類は多いが、
「掛物ほど第一の道具はなし」と言われるほどに、茶事や茶会の主題と
いうべき物であるから、十分に鑑賞できる素養を身につけたいものです。

<掛物の種類>
墨蹟(ぼくせき)
墨蹟は禅僧の高僧の筆跡をいい、主として法語、偈頌(げじゅ)、禅語
などがある。桃山時代までの墨蹟は、中国の禅僧に限られていた。村田
珠光が一休に参禅したのをはじめ、茶道と禅宗は密接なつながりを持ち
、墨蹟は古来より尊ばれてきた。禅僧の自由な境涯に遊びながら、気合
で書かれた墨蹟には「墨に五彩あり」の味わいがある。
一行物(いちぎょうもの)
一行物は墨蹟のうち、主として禅語又は茶にちなむ語句を一行に書き下
ろした掛け物。一字に始まり、十字以上に及ぶ物もあり、また対句とし
て二句書かれることも少なくない。江戸時代初期に盛んに用いられるよ
うになり、大徳寺派の一休宗純(いっきゅうそうじゅん)江月宗玩(こ
うげつそうがん)沢庵宗彭(たくあんそうほう)らの筆による一行物が
主流をなすようになる。
横一行(よこいちぎょう)
一行物のうち字句が横に一行に書かれたものを言う。縦、横の違いはあ
る、禅僧の含蓄の深い境地を簡潔に表現した一行は桃山時代から重きを
なす掛物となった。それは高価な美術品としてではなく、茶禅一味の思
想により揮毫した祖師の全人格が発露したものとして尊ばれ、「拝見」
されるものだった。
懐紙(かいし)
懐紙は和歌、さらには連歌、漢詩などを詠進する際に用いた紙で、これ
を軸物に仕立てたものを言う。書式には約束があり、紙の右端は袖と称
して少しあけ、季節詠題を書く。次の行に官位姓名を記し、歌は九字、
十字、九字と三行に書いて、四行目は仮名三字で止める。詠題や姓名に
よって何々懐紙と名付けられる。
消息(しょうそく)
消息は平安時代の文書より軽い内容の私信(状)をさしたが、戦国時代
から手紙雅称、特に貴人の手紙をさすようになった。茶の湯では、紹鴎、
利休をはじめとする名高い茶人の消息が最も喜ばれる。比較的気楽に、
率直に書かれた物が多く、それだけに筆者の人柄や人間味をしのぶには
格好なものといえる。
色紙(しきし)
色紙の掛物は、方形の料紙の書かれた和歌、絵、書など。武野紹鴎(た
けのじょうおう)が藤原定家筆と伝えられている色紙を掛物に用いたの
が始まりとされる。禅の精神で書かれた墨蹟とはまた異なる和様の趣が
茶人に尊ばれてきた。ことに藤原定家の小倉色紙は重く見られ、茶席に
おける古筆の鑑賞は、小倉色紙に始まるといわれる。
短冊(たんざく)
短冊は細長い料紙に書かれた和歌や絵、書などを言う。古くは鎌倉時代
のものも伝存し、これらは無地の白短冊である。室町時代以降、下絵の
ある物が多く、詠題の下に一首ニ行書きが通例。最近は本席にあまり掛
けないが、七夕の茶席などには用いられる。

<茶事>についての補足
亭主の心遣い
懐石は季節の旬のものを用い、茶事の趣向にふさわしい献立で構成します。
全体として、濃淡の味のリズミカルな起伏が大切で、強い味や香りは避け、
器は料理との調和を考え、余白を生かした盛付けをします。
また、温かいものは温かく、冷たいものは冷たく出せる上手な間の取り方
も心得の一つです。これらの季と器と機のいわゆる三キが亭主に求められ
る大きな要素となります。また、料理は食べやすくして供されるのが約束
で、魚の骨は取り除き、たくあんも客の年齢に応じて隠し包丁を入れるな
ど、実に細やかなもてなしの心使いをしなければなりません。