「教えて茶道」Vol,207

皆様のところでは台風の影響はいかがでしたか?
我が家では風が強かったくらいで、雨の影響もそれほど受けておりません。
夏休みで海へ山へのこの時期に所によってはひどい被害が出ており、これ
からの気象もどうなるかはわかりません。
皆様お気をつけてくださいませ。と言って何に気をつけるかはわかりませ
んね。地球温暖化で異常気象であることは確かです。

前回「教えて茶道 bQ06」は届きましたでしょうか?
2回配信したのですが、とうとう我が家には配信されませんでした。
暑さのせいで、パソコンも狂っているのでしょうか?
8月4日 bQ07は配信いたしますが、次回盆休みにさせていただきます。
8月11日配信されなかったと思われないように。
8月18日まで、皆様ごきげんよう。


暑いこの時期に第三回茶筅の里、高山にてお茶事の稽古をいたしました。
正午の茶事 風炉で、薄茶は洗い茶巾を付け加えました。
稽古ですから出席した全員が何かしらの役割をするようにいたしました。              
主客、亭主はそのままで、次客と半東は薄茶点前、三客は初炭手前、四客
は濃茶点前、詰は後炭手前といたしました。

献立表                             
    待合
    向付  平目の洗い 芽紫蘇 防府 山葵 加減酢
    汁   赤味噌仕立 白玉 じゅんさい 粉さんしょう
    煮物  鱧 すだち 蕎麦の芽 葛仕立
    焼物  すずき焼物 たで酢かけ
    預鉢  黒皮南京 里芋 湯葉 生姜千切り
    進肴  巨峰 椎茸 貝柱 胡瓜 三度豆 胡麻味噌和え
    箸洗  梅肉 おくらの種
    八寸  鮎の一夜干し 姫おくら
    香物  沢庵 うり 津田蕪
道具類
   本席 軸 無心
   待合 軸 水辺のとんぼ   松陽
   花    矢筈 桔梗 たいまつ草 むくげ 河原ナデシコ
   花入   ひさごカゴ
   香合   笹の葉に露
   釜    竹地紋筒釜  政光
   風炉先  ヨシ 屋久杉
   棚    溜精棚 淡々斎好み
   水指   染付   
   濃茶入  瀬戸  
   仕覆   笹鶴緞子
   棗    黒棗  
   茶杓  「清風」       称名寺
   濃茶茶碗 楽印   
   薄茶茶碗 京焼  青楓
   蓋置   鼓       谷村    
   菓子   岩清水      叶匠寿庵
   干菓子  青かえで 滝
   濃茶   千寿       芳香園
   薄茶   妙寿       芳香園
留意事項
◎露地
・ 暑い時期は打ち水は多いめに。
◎懐石
・ お碗には、露打ちは多いめにして涼しさを演出する。
◎ 初炭
・炭斗には、五ヶ、管炭 丸、割ぎっちょ、胴炭、点炭、枝炭三本
・紙釜敷は、わさが外になるように懐中する。
・ 紙釜敷きを懐中より取り出す時、右手で取り出し、左手であつか
 い右手でわさが火の方に向くように手なりに炭斗の前に置く。
・ 羽箒で初掃きは四回、中掃きは三回、後掃きは六回。
・ 灰器を正面に置き、灰匙を右手で取り、左手で手首を受けるように
 して、前土器の手前を灰匙で少しすくい取り、左手をはなして、その
 灰を五徳の向こうにまき落とす。(月型を切るという。)
◎ 主菓子
◎ 中立ち
◎ 濃茶
◎ 後炭
・枝炭は、先を下向きにして手前に入れる
・ 炭斗を茶道口に置いて、総礼。
・ 灰器を持ち出す。勝手付きに向いて左手で置く。
・ 羽箒を置く。香合を所定の位置に置く。釜の蓋を閉める
・ カンをかける。
・ 組釜敷を右手で取り左手に持ち、その手で右へ打ち返し(進む方向
 へ)炭斗の前に置き、一膝進んで釜を上げ、畳中央まで引き、カンを
 はずす。
・ 初掃き 四回
・ 炭を直して、炭をつぐ。景色を変える。
・ 中掃き三回
・ 灰器を取り、正面に置き、灰匙を取って、初炭の時に月型を切った
 あとへふじ灰をすくい入れて埋め、灰器を元へ戻す。後掃き六回。
・ 香を入れる。
・ 釜にカンをかけ、釜を上げた位置まで引き寄せ、カンをはずし、
 釜の右の方へ置くと、客の方から風炉中拝見の挨拶をする。
・ 一膝勝手付きに向いて、灰器を持って水屋に下がる。
・ 客は風炉中を拝見する。
・ 亭主は茶道口にて水次を膝前に置いて待つ。
・ 水次を持ち出す。
・ 水次を釜の右に置き、水次の上にある茶巾を釜の蓋にのせ、口にさ
 してある蓋置きを右手で取って、左手であつかい釜正面に置き、茶巾
 で釜の蓋を取り蓋置きにのせる。
・ 茶巾を水次の口にあてて水を釜にさし、釜の蓋を閉め、茶巾を釜の蓋
 にのせ、蓋置きを水次の口に戻し、左手で釜の摘みを持ち、茶巾で釜
 の蓋を向こう手前と拭く。
・ それから左手を膝の上に置き、釜の胴の向こうを左から右へ一、二と
 拭き、前を右へ「つ」の字を書くように拭き、茶巾を水次の上にのせ、
 持ち帰る。
・ 釜を風炉にかける。
・ 組釜敷をかたずけ、カンを入れ、一膝下がって、釜の蓋を切って、炭
 斗を持ち帰る。
◎薄茶 洗い茶巾
・ 茶巾を引き上げる時、少し高いめに持ち上げて涼しさを呼ぶように水
 の音をたてる。

炉と違って風炉もまた趣があり、順序も作法も少し違います。
広間で懐石、小間で茶を点てると両方の部屋を使用させてもらいましたが、
小間の部屋が途中と言うより始めからクーラーの効きが悪く、炭手前をし
た頃より、だんだん暑さを感じて、これはしてないけないと言いながら扇
子でパタパタ、現代人は文明の利器なしでは生きていけないと証明されて
しまいました。
これも修行と言いながらも、皆さん頑張って終わりまでやり遂げました。
ご苦労様でした。


<茶人伝>小堀遠州(こぼりえんしゅう)
織部の後継者として徳川秀忠、家光二代の茶道指南役を務めた茶匠です。
1579年に近江に生まれた遠州は、歌道や書道を学び。「綺麗寂び(きれ
いさび)」と呼ばれる都会的で洗練された茶風を形成しました。利休や
織部に比べ、茶室は遥かに開放的になり、彼が指図した大徳寺弧篷庵
(こほうあん)、南禅寺金地院の八窓席(はっそうせき)などには、書
院造りの華やかさと明るさが加味されています。
茶道具の鑑定にも優れ、利休以後の道具を中心として、後に「中興名物」
と呼ばれる茶器を鑑定する一方、唐物写しの国焼(くにやき)として遠
州七窯(えんしゅうなながま)を開くなど、多くの才を発揮し、後世の
茶の湯に大きな影響を与えました。
乱世に生きた利休や織部とは異なり、時代の空気を反映するかのように
1647年2月6日、遠州は六十九年の生涯を平穏に終えています。


<窯 かま>用語

上野  あがの
     豊前国(福岡県)上野でつくられた陶器。上野喜蔵を祖とし
     、皿山窯(本窯)、釜の口窯、岩谷窯(唐人窯)の三窯を上
     野古窯と呼び、遠州七窯の一つとして多くの名器を出した。
     喜蔵の肥後八代移住のあとは三男孫左衛門一族が継承、妹婿
     方にあたる渡家とともに明治に至った。花入・水指・茶入・
     茶碗・鉢・向付・皿など多種多様で、数も多く、初期の作風
     は高取焼に類似し、遠州指導期は花入に遠州様式が顕著に見
     られる。朝鮮唐津・白唐津・斑唐津などはこの窯の作品であ
     ろうとの説がある。割山椒の向付は特に茶人に高く評価され
     てきた。しかし江戸時代中期以後の作品には雑器が多い。

赤膚焼 あかはだやき
     奈良市丘陵地帯で焼かれている陶器。この地帯は古くから土師氏
     の根拠地で、平城宮の瓦も焼かれたが、中世この伝統から薬師
     寺八幡宮付近に春日神人の赤白土器座が生まれ、土器・火鉢な
     どが生産された。茶の湯が起こると、土風炉(奈良風炉)の製
     作が始まり、西村善五郎が土風炉師の名をあげ、後京都に移り
     永楽家となる。この窯業の伝統の地に江戸時代後期の1796年頃
     郡山藩主柳沢尭山が京都から陶工伊之助・冶兵衛の両人を召し
     五条村赤膚山(五条山)に開窯させたことから茶陶赤膚焼(赤
     膚山焼ともいう)の名があがった。俗説だが、赤膚焼の灰色の
     仕上りは、名産「奈良晒」を濾す藁灰汁が陶土に混入したため
     とも説かれる。なお大和大納言秀長(豊臣秀長)が尾張常滑の
     陶工を召したとか、仁清が下向したとかいわれ、遠州七窯の一
     つにもあげられているが、赤膚焼の源流としての茶陶の生産は
     早くに起り、断続ながら当代に至ったといえる。寛政年間以後
     、西大寺の大茶盛などによっても紹介され、なお奥田木白が名
     をあげた。焼印には「赤ハタ」・「赤膚山」の二種があるが、
     藪内家の注文品には瓢印を用いたといわれる。現在、五条山中
     心に盛業を示している。