「教えて茶道」Vol,199

久しぶりに、変な云い方ですが、風邪を引きました。いつもなら鼻をぐつぐつ
いわせて、ティッシュとお友達になるのですが、今回は熱が出て2日間休養い
たしました。皆様も夏のような日だったり、雨が降れば冷え冷えしたり本当に
変な天気になる今日この頃ですから、お気をつけてください。


<風炉点前>
風炉になりますと、お点前が少し変ります。ポイントだけを。
風炉・釜は正面左側で、水指は右側。
居前は正面で、客付は右ななめになります。
柄杓の扱いは前回で申し上げましたが、お茶を入れた時は切り柄杓、水を扱っ
た時は引き柄杓。
本仕舞と、中仕舞いがあります。
普通の濃茶、薄茶点前は中仕舞い、仕舞う時お茶杓を帛紗で拭いた後茶碗にふ
せて置き帛紗を左手ににぎり込んだまま、右手で茶碗の右横を持ち、少し左の
方に寄せ棗を右手で茶碗を、正面前に置きあわせします。
本仕舞いは、お茶杓の汚れを建水の上で払い、帛紗を腰につけ、棗、茶碗を水
指前に置き合わせます。4畳半以下の小間の時にいたします。
拝見の道具は客付きに向いて棗を拭いて膝の横あたりに出します。
建水を持ちかえる時、柄杓蓋置を持ってから、ひと膝勝手付きに向き、建水を
持ち、左足を立てたち上がり勝手付きに回って敷き合わせを左足でこえて下が
ります。
 

<薄茶器 >宗旦(そうたん)と遠州(えんしゅう)
利休は無地の黒棗を侘びの茶器として重用しましたが、秀吉は黒を嫌い、
華やかな蒔絵を好みました。このような好みの違いは、利休以後、茶の
湯が町方と武家方に大きく分かれるにつれ、顕著になっていきます。利
休の侘茶(わびちゃ)を継承し、さらに深めた孫の宗旦は、溜塗(ため
ぬり)や摺漆(すりうるし)仕上げによる木地の味を生かした棗や一閑
張(いっかんばり)による風雅な茶器を好みました。一方、同時代の大
名茶人、小堀遠州(こぼりえんしゅう)の好みは「綺麗寂び(きれいさ
び)」と評され、繊細で端麗な蒔絵をほどこした棗以外の茶器が多く、
茶境や美の表現が対照的な二人は、この時代の茶の湯の象徴的な存在です。


<茶碗 ちゃわん>用語
呉器  ごき
     もと判使御器。のち呉器の称が多く用いられ、判使呉器は呉
     器といわれるようにもなった。禅院で用いる塗椀のことをい
     う。李朝時代に朝鮮でつくられた茶碗に、高い撥形の高台に
     見込みが深く丈の高い端正な椀であり、いかにも塗椀に似た
     風情がある。京都に来た朝鮮の使節(判使)が、宿舎の大徳
     寺で用いていたので、大徳寺呉器の名が出、それに類した物
     をすべて呉器と称したらしい。紅葉呉器・尼呉器・錐呉器・
     番匠呉器・遊撃呉器など、わずかな差異により多くの名が付
     けられているが、おおよその姿は同じで、薄作り、淡灰色の
     肌に赤い斑紋の出たものが多い。
     
粉引  こひき
     粉吹きともいい、李朝期の朝鮮茶碗の一種。土・釉から慶尚
     南道産の三島刷毛目の類と考えられる。鉄分の強い黒い土で
     あるため、白泥を一面に化粧掛けしているが、その白土の粒
     子がやや荒いため、さながら粉まぶしにしたような肌に見え
     る。そこからこの名がでたものである。茶碗のほかに徳利も
     多く、お預け用として珍重される。

御本  ごほん
     御本はすなわち御手本の意で、手本の切形を与えてつくらせ
     た陶器の総称といっていいが、一般には江戸時代初期から、
     朝鮮釜山の和館に付属する燔造所でつくらせたものをいう。
     古田織部や小堀遠州の切形をもとに、対馬の玄悦・茂三ら陶
     工が同地渡って焼いたといわれる。白い細かい土ややや黄ば
     んだ釉をかけ、白黒の土で型押象嵌の鶴を描いた立鶴の茶碗
     が特に名高く、他に鉄砂や呉須絵のものもある。土の関係で
     肌に転々と赤みのある斑紋を吹くことが多く、この斑点のこ
     とを「御本が出た」という。また伊羅保や魚屋・金海・彫三
     島などの茶碗の大半はこの御本だちのものと考えていい。