「教えて茶道」Vol,197

薫風香る、豪華絢爛花の季節五月になりました。
皆様はどのような連休の過ごし方をなさっているでしょうか?
私は一足早くお休みをいただき、楽しい一時をパリで過ごして参りま
した。皆様はまだお休中だろうと察して(勘違いかも)今回はパリ・
モンシャンミシェル5泊6日旅行を報告したします。
皆様も楽しい旅行記をお寄せください。

<1日目>
パリも花盛り、マロニエの花が咲いて、私をうれしがらせました。
夕方にはパリのホテルに着き、フリータイムを利用して地下鉄利用で
画家が集まるモンマルトルの丘へ。地下鉄路線を1回乗り換えて目的
地へ。駅から出れば、そこは人出の多い下町。店のウインドウをのぞ
きながら歩けば、見上げるほどの丘の上に純白の聖堂アクレ・クレー
ルが見えました。斜面の芝生にはヒトヒトが集まって金曜日の夕方を
楽しんでいる様子。花が植えられた坂道に沿ってあえぎながら歩けば、
パリの市内が眼窩に広がり眺望はすばらしい。大阪や京都のように
見なれた「山がない、見えない」というのが第一印象でした。
どこまでも広広としたパリでした。
教会内でここへ来れた事を感謝した後は、夕食です。友人の希望でシ
ャンソンの流れるレストランに行こうと、ガイドブックにはアドレス
はあっても地図がない。どうしょうかと思っていると、祈りが通じた
のか、数人のおまわりさんがパトカーの側にいました。
ニセおまわりさんが出没するから決してパスポートは見せないでと添
乗員には注意されていました。でも、この人たちは本物だろうと、確
信してガイドブックを見せて聞きました。若いおまわりさんがガイド
ブックを見て、パトカーの方へ行きました。私は書くもの、ペンか紙
を取に行ったのだろうと察したのですが、友人は車で送ってくれるの
かと勘違いして「うれし!」と言いながら車に乗ろうとしました。
「ノン、ノン」彼は慌てて首を振り止めましたよ。彼は地図を捜して
いたのでした。勘違いを笑いながら彼が教えてくれた道をたどれば、
画家の村が出現。何十人もの画家が、日本人らしい人もいて絵を売り、
似顔絵も描いている。ここもヒトヒトでごったがえしていました。
食欲には勝てず、レストランを捜して、たむろしている若者に(オラ
ンダ人だった)尋ね、商売敵のレストランのガルソンに尋ねてやっと、
たどり着きました。店では私達だけで、ほんとに歌が聞けるの?と尋
ねれば、5分後という。それならと、食事を注文して食べ始めたのに
音楽は全然始まらない。カマヤツヒロシみたいなおっちゃんがアイソ
を浮かべながらウロウロするばかり。エスカルゴ、タラの料理、デザ
ートを食べている内にお客もぼちぼちと入ってきました。もう食べる
物もなし、10時前には地下鉄に乗らないと危ないし等などいらいら
していると、団体客が9時ごろに現われ、シャンソンは始まりました。
もう少しゆっくりとした気分で歌を味わいたかったのですが時間切れ
で、2曲を聞いて帰りました。

<2日目>
ツアーに含まれているパリ市内観光。エッフル塔が一番綺麗に見える
シャイヨ宮殿で、塔を背景に記念写真をとり、コンコルド広場でも同
じように、あちらも向いて、こちらを向いてと写真をとってルーブル
美術館へと行きました。私はパリは2度目でルーブルは前は個人で見
て回り、ミロのビーナスとモナリザだけを駆け足で見たのでしたが、
今回は面白いガイド付きだったので、1時間半はあっという間に終り
ました。昼食後はフリータイム。
凱旋門に登ろうと、入場券を買って入り口に行けば、狭い狭い螺旋階
段がぐるぐると続き、あーもうだめだと思う頃に上に着きやれやれで
した。
遠くどこまでも、たいら、たいらなパリ市内でした。
その後地下鉄で、シテ島・ノートルダム寺院に行き、「ありがとうご
ざいました」の十字を切った後はクリニュー博物館を目指して歩き、
土曜日の通りもヒトヒトだらけ。
博物館ではどこが入り口だと思っている内に展示会場に入り、誰もと
がめる人もなく展示物を見て出てきてしまって、無賃乗車ならぬ無賃
入場になったようでした。
それから近くのリュクサンブール公園へ行き、冷たい飲み物を飲んで
マロニエの木立の下のベンチで一休み。ここも皆休日を楽しんでいる
様子。砂埃が上がるほどのヒトヒトでした。
さて次は、サン・ジェルマン・デ・プレに行こうと歩き出し、人に尋
ね、尋ね、夫婦連れ、若い女性、男性の店員、旅行者、とうとうセー
ヌ川に行ってしまって、これは間違ったと、またもやレストランの主
人に聞いてやっとたどり着きました。目当てはスーパー。
お土産を安く買おうという魂胆だったのですが、ぐったりと疲れはて、
どこか喫茶店にと、リップと言う店に入りました。疲れた体にはスー
プをと2人の意見は決まったのですが、どんな味かがわからないから
コーヒー1、スープ1を注文しました。ガルソンはうれしいことにス
プーンを2つ用意してくれました。たっぷり量はありましたが、味は
まあまあ。チップを置く段になって、慣れてないからどうしていいか
わからない。スープがあるかを聞いた時にすぐにそれはいくらと値段
を聞いているくらいだから、貧乏人だと彼らは思っていてチップも期
待してはいないよと、私達の都合のいいように解釈して、でも「メル
シーボーク」と微笑んで店を出ることを忘れませんでした。

<3日目>
今日は、ヴェルサイユと並んでフランスで最も人気のある観光地モン
サンミッシェル寺院見学です。英仏海峡に飛び出たコタンタンタン半
島のつけ根のあたり、サン・マロ湾の奥深くに位置した小島の岩山の
上に壮大な修道院がそびえています。見るからにお城のような修道院
です。海に囲まれて、潮が満ちると小島になり潮が引くと歩いて行け
るという。教会であり、要塞になり、牢獄になったり、今は修道院と
国立博物館になっています。そこに行く道にある店の大きなオムレツ
が有名。私達もオムレツを食べました。卵白を泡立てて焼いたオムレ
ツの上にも卵白ソースがかかっていました。
往復8時間もかかり、パリに帰ってきて夕食。その後友人は「ピカピ
カのエッフェル塔を見よう、登ろう」と言い出して、時間は9時半2
人してこれから自由行動。ちょっと私は怖かったけれども、地下鉄で
行って帰りはタクシーで帰ろうと話はまとまり、ツアーの仲間と分か
れ、地下鉄に向いました。ところが地下鉄出入り口は閉まっていて入
れない。流しのタクシーはそんなに走っていない。どうしようと思っ
ていると、タクシーの看板があり、そこで待っていると程なくタクシ
ーが現われました。「エッフェル塔」と言えば、陽気な年寄りの白人
の運転手は発音をチェック。いろいろ話しながらここはマドンナが泊
まったホテル、ここはダイアナが泊まったホテル、ここで事故にあっ
た、あれは事故ではなくマーダー殺人だと言う。それから英語の歌ラ
ブミーテンダーに続いて3曲ほど歌っている内に着きました。もしか
したら遠回りしたかもしれないけれどもにぎやかな楽しいひと時でした。
エッフェル塔は、下まで来るとさすが大きく、光り輝いていました。
エレベーターを2回乗り継いで上まで上がれば夜景は素晴らしい。
ゆっくりはしていられずに、下りてタクシーに乗りました。今度は黒
人の運転手さん、若いからか余り話しはせずに無事にホテルにたどり
着きました。

<4日目>
いよいよ帰国の日、午前中フォンテーヌブロー宮殿と芸術家が滞在し
たバビルゾン村ミレーの絵が残っている家を見学して、田園風景や鮮
やかに広がる黄色の菜の花畑を堪能して帰国しました。
できる限り楽しんだのですが、やはり駆け足でパリのムードもおちお
ち楽しんでいられない日程でしたし、やり残したことや行けなかった
場所もまだまだあり、次回のお楽しみとなりました。