「教えて茶道」Vol,195

少し前に読者の方よりメールをいただきました。お茶はまだ初心の方で先生
に還暦祝の茶事に招かれ、不安と緊張していますとのことでした。
誰でも初めてのことには不安を覚えます。招く側は出席していただけるだけ
でうれしいものですから、心配せずに自信を持って連客の方に初心者だと一
言お断りをして教えてもらうようにされればいいですと申しました。
それと私には全然違った視点があるだろうからと、ぜひとも感想をお聞かせ
くださいとお願いいたしました。やはり素晴らしい感想でした。
皆様にも参考になると思いますのでご一読ください。

<感想>
無事お祝いの茶会が終わりました
当日茶事がはじまる前は、見知らぬ場面に緊張と戸惑いが有りましたが
進むにつれ、その場の雰囲気を楽しんでいました。
先生のご配慮で、席順も安心出来る優しい先輩方に囲まれるように
してはじまりました。
つくばいの使い方は、お習いしていましたが
にじり口からの入り方は伺っておりませんでしたので、戸惑いました。

私が今回 ハッと感じましたのは
濃茶席から薄茶になりました時のお軸の言葉でした
”心静”と
それまで緊張していて、自身の未熟さにこだわっていた気持ちから
心落ち着けて今を楽しみなさいと教えていただいたように感じ
助けられた思いで、それからの茶事を心から楽しむ事が出来
心に残りましたお軸の言葉でした。


皆様も茶事や茶会の感想。茶に関することなどお聞かせください。
にじり口からの入り方、退出の仕方はテキストにも載ってはおりませ
んが、私の経験から申し上げますと、
にじり口に扇子を置いて、内の様子をうかがい、扇子を前にすすめ、
頭を低くしてにじって入ります。後ろを向いてぞうりを立掛けます。
出る時は、ぞうりを前に置き、足から先に出るとうまくできそうです。
現在の若者は体も大きくなっているし、着物を着ると帯等でかさ高く
なるので、狭いにじり口よりの出入りはたいへんです。


<薄茶器 >薄茶器の形
棗は、植物の棗の実に形が似ているのがその名の由来です。黒塗棗は
、竹野紹鴎が創案し、さらに千利休が侘びの茶器としての意匠を整え、
後に大、中、小の標準の型が定まりました。中次は,上下に面がない円
筒形で合口が真ん中にある物(上の角を面取りしたものは面中次)。
頭切(ずんぎり)寸切は円筒形の身に蓋をのせたもので、これはいわゆ
る金輪寺(きんりんじ)茶器の写しです。上下なしというところから、
雪が乱れて上の下もない吹雪になぞらえていい文字まで上下反対に書く
「雪吹」の慣わしとなっています。

<茶碗 ちゃわん>用語

堅手  かたで
     朝鮮茶碗の一種。李朝前期につくられたもの。井戸や熊川
     (こもがい)と違って磁器質で、土・釉ともに堅い感じがす
     るため、堅手とよんだものらしい。多くの窯でつくられらた
     らしく、形が井戸風の開きかげんの茶碗だというほかは、こ
     れといった共通の特色は指摘できない。普通は総釉であるが、
     代表的な長崎堅手は釉が裾で切れていたりすることがある。

皮鯨  かわくじら
     茶碗や皿の緑に鉄釉をかけて焼くと茶褐色の発色をみるが、
     それが鯨の皮身のところを連想させるところから名づけられ
     たもので、九州地方の陶器に多く用いれる。磁器の場合は緑
     茶・口紅などと呼んでいる。特に瀬戸唐津の茶碗の口緑は鉄
     釉で周囲を巻いているため皮鯨茶碗の別名がある。
     
狂言袴  きょうげんばかま
     朝鮮雲鶴茶碗の一種。狂言師の袴にある紋によく似た丸紋の
     ある茶碗をいう。筒形または半筒型で、上下に筋と連続紋が
     あり、その中央に四角相対して丸紋が配されている。丸紋は
     三個の場合もある。この手は雲鶴茶碗中でも年代が古いとさ
     れており挽木鞘をはじめ著名なものが多い。また御本にもこ
     の類の写しがある。なお紹鴎伝来の大名物狂言袴手茶碗は、
     銘がないまま狂言袴と呼ばれている。稲葉美濃守正則、冬木
     喜平次、信州上田侯松平伊賀守などを経て松浦鎮信家に入
     った。

金襴手  きんらんで
     中国明代の磁器で、あたかも金襴のように金で文様をを描い
     たものを言う。陶磁器の上に金で文様を描くことはすでに北
     宋代定窯などで見られるが、明代(1522−66)のころには色
     絵磁器の上に金彩が施されるようになり、非常に多量に生産
     された。多色を用いた赤絵の上に金彩を施されたものを赤絵
     金襴手と称する。色無地の上に絵の肌に施されたものは珍し
     く、その上に絵の色によって萌黄地金襴手・瑠璃色金襴手な
     ど称する。中国本土に残っているものは少なく、日本・東南
     アジア・中近東に多く伝わるため、輸出用に民窯で作られた
     ものと思われる。碗・盛盞瓶のほか壷などがある。日本でも
     伊万里や京都で多くの写しがつくられた。金の代わりに銀を
     用いたものを銀襴手という。