「教えて茶道」Vol,178

稽古中は無駄なおしゃべりは禁物です。自分の稽古が終り、他人の稽古を
見ている時など、つい気がゆるみがちです。1週間振りにあったとか、
どこどこで珍しい物を見たとかと、話したいものです。
しかし他人を見ることが自分にとっての稽古になるものです。
そうすることによって、自分の間違いやわかっていなことなどがはっきり
するようになるからです。疑問点があると、先生に質問したりしますから
しっかりと覚えられます。
あるいはまた、他人の稽古から見習うべきところ、見習うべきでないとこ
ろがわかります。お茶は見せるものですから、きれいな動作は真似をする
ように、見苦しい所作はしないように、先生の注意をよく聞いておき、そ
れを自分の稽古に役立たせるようにすることも大切です。
つまり予習として、あるいは復習として他人の稽古をよく見ておくことです。
楽しい雰囲気はいいものですが、度が過ぎてほかの人に迷惑になるような
騒がしい行動は慎みましょう。


「礼の仕方」
礼は正面を向き、下腹に力を入れ、背筋を伸ばし上半身全体で行うのが基
本で、真(しん)、行(ぎょう)、草(そう)があります。
真は最も丁重な気持ちを表すもので、手の平をひざ前の畳につけ、足のつ
けねにおなかがつくように深く礼をします。
掛物の拝見や主客の応対などにいたします。
行は、指の第二関節から先だけが自然と畳につく程度の礼で、主客の軽い
応対や客同士の挨拶にいたします。お菓子や茶をいただく時には、顔だけ
を隣の方に向けて「お先に」と礼をします。
草は点前中の亭主の挨拶だけに使う最も軽い礼で、指先をひざ前の畳につ
け、軽く上体を下げます。
決して首だけで、お辞儀をしないように、体全体でしましょう。


<掛物 かけもの>

袋表具 ふくろひょうぐ 表具の一形式。上下を柱でつないだ見切表具の
         中廻しを省略したもの。さらに風帯を省略したものは
         丸表具と称する。なお見切表具を袋表具と称すること
         もある。また本袋表具とは、上下を柱でつなぎ、風帯
         を略し、細金をもって中廻しの代わりとしたものである。
         
曼荼羅 まんだら 梵語mandalaの音写で、曼陀羅とも書き、本来は仏教の
         本質、すなわち仏の悟りの境地を意味するが、中国・
         日本ではもっぱらそれを図案化した形像(ぎょうぞう)
         曼荼羅をいう。表現法により四種、それぞれが内容に
         より三種に分けられる。金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅
         は真言密教の根本的な曼荼羅であり、胎蔵界が因、金
         剛界が果を表し、大日如来を中心に諸仏・諸菩薩のす
         べてが図示されている。

和漢朗詠 わかんろうえい 藤原公任撰1013年成立、白楽天・菅原時
         文などの漢和の詩文から佳句をあげ、それぞれに柿本
         人麿以下の名歌を配置し、約二百首組に及ぶ。朗詠の
         用に供するためで、春・夏・秋・冬・雑に分類。詩歌
         によって和漢兼帯の王朝貴族の教養を象徴したもので
         あり、王朝貴族文化の遺産として、特に東山時代や寛
         永時代などの古典主義思潮の勃興期に愛好された。一
         面、本書は漢字と和字とを示すから書道教科書として
         愛用されたため、写本・模本や注釈書が多く世に出た。
         伝藤原行成筆をはじめ、尊円親王・松花堂昭乗・本阿
         弥光悦・近衛家熙の写本などが有名。和漢朗詠集切は
         古筆切の圧巻であり、宸筆も存する。この和漢朗詠集
         の和漢兼帯の具象化として茶湯が成立する。和漢朗詠
         集切が茶掛として珍重されるゆえんである。