「教えて茶道」Vol,109

時間厳守
茶事の開始時間は、はなはだ厳格なもので、このことを、まず頭に入れてお
かねばならない。
和服で出かけようとすれば支度に時間がかかるが、遅刻は厳禁である。
亭主側は客の到着時間を見計らって、すべての準備を進めている。
到着二十分前には、玄関に、打ち水がされ、待合の煙草盆には火が入ってい
るという具合にしている。
そこに三十分も遅れてきたのでは、せっかくの準備が台無しになる。連客を
待たせるのも失礼にあたる。手紙などに案内された時間の二十分前には着く
くらいの余裕がほしい。
先方に着いてからも、足袋をはき替えたり、化粧室に行ったりと時間がかかる。
時間厳守は開始時間にとどまらない。茶事の進行は、亭主と水屋係りにとっ
ては時間との戦いである。懐石の最初のご飯は炊きたての熱々をもてなせる
か、炭のおこり具合は順調か、などと常に細かく心を配り続ける。
ゆえに、客側も時間のことは、およそ頭に入れておくほうがよい。特に正客
と詰の役を務める人は、亭主側の配慮に協力し、一緒に茶事を進めるくらい
の気持ちが必要で、懐石の酒席がだらだらと続いたり、中立ちの休憩が客の
都合で長引かぬように気配りしたい。
退出時間も大切である。
茶事が終わって、ほっと一息して、亭主に請われるがまま、労をねぎらって
話し込む時がある。茶事の印象が深ければ深いほど、その思いをお互いに話
たい気持ちになる。が、亭主側には後片付けの大仕事が残っている。そこに
気づけば、客は感謝の意を表した後、区切りよくさっと退出するのが礼儀に
かなっている。
四時間にも及ぶ茶事のあとは長居は無用である。

<水屋での準備>
「水と湯と茶巾、茶筅に箸、楊枝、柄杓と心あたらしきよし」と利休が百首
にいわれるように、茶巾は常に清潔で白い麻のものを使います。
新しいものを使う時は、茶巾だらいの水につけ、何度かもみ出して、ついて
いるのりを落とします。準備する時は、茶巾を細長の三角にしてたらいの縁
にかけておきます。
新しい茶筅を使う前に箱にのりつけされていた部分だけを水につけて、底に
ついているのりと紙をぬぐいとってから使います。
穂の部分は水につけないように注意します。
茶碗には茶筅の糸の結び目を上にして、茶巾、茶筅を仕組みます。

<国語の時間>
清風動修竹 (せいふうしゅうちくをうごかす)

もともと竹は、風がなかったらそよとも動きません。一陣の清風が起こるか
らこそ、竹がサワサワと揺れるわけです。ですからこの「清風」と言うのが
問題です。たとえば茶道具でも、そこに一つの新しい道具が加わることによ
って、雰囲気がガラッと変わることがあります。その一つの道具が「清風」
となって全体の空気を動かし、全く新しい雰囲気を醸し出すのです。動かな
い竹が、清風によってにわかに生き生きとしてくるように、それぞれの道具
が生き返ってきます。
もちろんその逆もあります。一つの道具が加わることで、全体の雰囲気がこ
われてしまうこともあるのです。
それは道具ばかりでなく、人間もそうです。私たちはみな「清風」にならな
ければなりません。
「清風」となって、沈滞した人間関係に一陣の涼風を吹き込む存在とならな
ければなりません。
そういう意味では「薫風自南来」(くんぷうみなみよりきたる)の「薫風」に
通じるところがあります。
◎ 修竹=細長い竹


<訂正とお詫び>
先週の「教えて茶道」の中、誤りがあり、読者の方から知らせて頂きました。
それをお知らせして、訂正、お詫びいたします。

六月の異名 水無月 みなづき(正) みなずき(×) 

歌銘 風そよぐ ならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりけり
    藤原家隆

藤原家隆の和歌について、気付いたことをお知らせします。
結句が「しるしなりけり」とありますが、正しくは「しるしなりける」です。
(出典:「新勅撰和歌集」夏・192) きっと、引用なさった文献の校正ミス
だと思います。
念のために、文法説明を補足させていただくと(高校の古文の授業みたいで
恐縮ですが…)、「みそぎぞ夏の…」と、係助詞の「ぞ」が入っているので、
「係り結び」の法則が成立し、句末は本来、終止形「けり」となるところが、
連体形の「ける」に変化します。
藤原家隆は有名な歌人で、新古今和歌集の撰者の一人でもありますから、こ
のような基本的な文法を間違えることは、まずありえないでしょう。

お知らせくださってありがとうございました。
なつかしい本当の高校の国語の時間になりました。