「教えて茶道」Vol,100

 

今回で100回を迎えました。これほど続くとは思ってもおりませんでし
たので、感慨ひとしおです。
これも皆様の応援があればこそで、まずは読者の皆様へお礼申し上げます。
記念として何かを考えてみたのですが、思い当たらず、結局は言葉を一つ
と思いまして、何かいい言葉はと、またまた考えましたが、思いつかず、
英会話クラスで、先生とのお別れの時、仲間に習字の先生がいて、いつも
色紙に何かを書かされます。これがいやなんですが、悪筆なので、短い言
葉で、なんとかごまかそうと思いついたのが、「HAPPY」です。
勿論、私の好きな言葉であり、外国人にも日本人も知っている言葉ですか
ら、色紙が出る度に、何回も書き、私の定番のようになりました。

今回も、私の大好きな言葉「HAPPY」を皆様に送ります。
自分がHAPPYになりたいと思う。周りの人間もHAPPYにならない
と、自分もHAPPYになれない。
そうするにはどうしたらいいかを自分の頭で考える。
そして、それに向って、手を尽くす、努力する。
待っているのではなく、人にしてもらうのではなく、自分で行動する。
そうすれば、かならず、ドリーム カム トウルー、HAPPYになれます。
実践者の私が言うことですから、大丈夫です。今はやりの任せなさいです。
自信のない方は、私の「HAPPY」のオーラーを受け取って下さい。
百回記念プレゼントです。遠慮なくどうぞ。キャッチできましたか?
今からあなたはHAPPY組みの一員です。
HAPPY組の皆様のご活躍とご繁栄をお祈りしております。

もう一つ思いついたのが、国語です。
日本語の中にはことわざや、熟語、言葉のいわれがたくさんあります。
ひびきだけで解釈しているものや、勘違いして覚えているものもたくさん
あると思います。
現に私は、この間まで「袖振り合うもタショウの縁」
タショウを、「多少」と覚えておりました。
正しくは「他生」又は「多生」でした。
意味は、道行く知らぬ人と袖が触れ合うことさえを宿縁による。すなわち
ちょっとした出来事もすべて偶然のことではなく、宿世の因縁、前世から
の因縁によるという。
「多生の縁」とも書くが、「他生」は現世から見て過去・未来の生をいい、
「多生」は、何度も生まれ変るの意。
英語も国際的な世の中には大事ですが、日本語は日本人の原点ですから、
英語を話すにも、まずは日本語を正しく理解する必要があります。
これらの解釈をする国語の時間コーナーを設けたいと思います。
本音を言えば、私の勉強に付き合わせて、ごめんなさいと言う次第です。
この思いつきも、どうやら、神様の思し召しのようです。ひらにご容赦を。
読者の方の応援を得て、気がついた言葉を取り上げていきたいと思います。
質問やこれはどう言う意味?などがありましたら、メールをお寄せ下さい。

いろいろ書きましたが、まずはお茶の勉強を。

「礼の仕方」
礼は正面を向き、下腹に力を入れ、背筋を伸ばし上半身全体で行うのが基
本で、真(しん)、行(ぎょう)、草(そう)があります。
真は最も丁重な気持ちを表すもので、手の平をひざ前の畳につけ、足のつ
けねにおなかがつくように深く礼をします。
掛物の拝見や主客の応対などにいたします。
行は、指の第二関節から先だけが自然と畳につく程度の礼で、主客の軽い
応対や客同士の挨拶にいたします。お菓子や茶をいただく時には、顔だけ
を隣の方に向けて「お先に」と礼をします。
草は点前中の亭主の挨拶だけに使う最も軽い礼で、指先をひざ前の畳につ
け、軽く上体を下げます。


<茶事>についての補足
<初炭 しょずみ>
炉の季節では、挨拶が終わると初炭となり、次に懐石です。
懐石の間に炭が少しずつおこり、釜の湯がちょうど煮えたところで濃茶と
いうタイミングになります。
一方、風炉の季節では、懐石の後初炭手前がなされ、主菓子が出て中立ち
(茶席よりいったん退出する)となります。
気温と火の加減を考えた合理的な流れです。
炭手前を拝見する機会は、近頃では少なくなってまいりましたが、見られ
る時は貴重なチャンスですから、注意深く拝見して下さい。。
管炭(くだすみ)枝炭(えだすみ)を共につぎ、後掃(ごばき)をして香
(こう)をたいて、時がたつにつれて、茶室内に香のゆかしい匂いが満ち
てまいりますと、炭手前の素晴らしさを感じないわけにはまいりません。


<国語の時間>
和菓子を甘く見ないでください。
 
和菓子の語源を楽しみましょう。
一口に和菓子といっても、桜餅、今川焼、鹿の子餅(かのこもち)、きんつば
等々、じつにバラエティーに富んでいる。
桜餅は、小麦粉で作った焼き皮にあんを入れ、塩漬の桜の葉で包んだもので、
隅田川のほとり、長命寺(ちょうめいじ 東京都墨田区向島五丁目)門前の
山本屋のそれが有名である。現在の店主は十四代目(65年)という。初代は、
千葉県から江戸に出て長命寺の門番になったが享保2年(1717)八代将軍吉
宗(TVの「暴れん坊将軍」)が、百本の桜を墨田堤に植えたところ遊客が増え
たのを見て、桜の葉で餅を包むことを考案した。
これが、桜餅の始まりである。
このように、和菓子の語源には簡単明瞭なのが多い。
今川焼は、小麦粉の皮であんを包み、銅版で焼いた江戸の今川橋(現・東京
都千代田区鍛治町一丁目と中央区日本橋室町四丁目を結んでいた橋)で売
られていたものだからである。
きんつば(焼き)は、水でこねた小麦粉を薄くのばしてあんを包み、刀の鍔
(つば)に似せて平たくし、油を引いた鉄板の上で焼いたものである。
どら焼きは小麦粉を水で練り、丸くどら銅鑼(青銅製の盆状の楽器)の形に
焼き、その2枚の間にあんが入っている。
これらに比べて、いささか変遷があるの跡を残すのは大福餅だ。薄くのば
した餅のなかにあんを入れた和菓子で、昔は焼いて食べた。
この菓子の原型として江戸時代初期に、鶉餅・鶉焼(うずらもち)と言い
鶉のように丸くふくらんだ餅菓子があったが、腹がふくらんだ形なので、
「はらぶともち腹太餅」とも呼び、その大きいものを「だいふくもち大腹餅」
といった。のちに、やや小型にして、中にこしあんを入れ、大福餅と改め
たのである。
古くからの菓子でも、外国から渡来したものもある。
室町時代末(16世紀末)にヨーロッパ人によってもたらされたカステラは、
pao de castile(パン ド カステリヤ)、すなわちポルトガルのカスチラ
王国製のパンという意味から来ている。
1600年ごろ渡来した有平糖(ありへいとう)、砂糖にアメを加えて煮
つめた菓子は、ポルトガル語alfeloa(アルフェロア)から来た語である。
金平糖もポルトガル語confeito(コンヘイトウ)から来ている。
さきにあげたヨーロッパ渡来の菓子類が、主としてキリスト教とともに渡
って来た。
羊羹は、中世に禅文化ととも中国から伝えられた。